2016年2月25日:カンツバキ

冬のある日。「これはカンツバキですか?」と尋ねられた。

 

「そうです。植木屋さんはシシガシラと言っています」と答える。

 

「サザンカとどう違うのですか?」と。

 

私は「カンツバキはこのように背が低く、花は赤く八重咲で、白花や一重はありません。道路脇などの生け垣に植えられることが多いですね。開花期も長く、12月から3月頃までつぎつぎと咲きます。    サザンカはもっと背が高く、お家の庭に植えられていて生垣仕立てにすることはありません。花は株が別ですが、白と赤があり八重もありますが、一重もあります。11月から12月頃が花期です。葉は少し大きいです。庭に植わっていて、背が高く花が一重で赤花と白花があれば、間違いなくサザンカですよ」と続けた。

 

「よく見てみます、ありがとうございました」

 

「どういたしまして」と言って別れた。カンツバキの縁だ。

 

                 (福岡誠行)

 

2014年7月15日:ハマゴウ

ハマゴウの花
ハマゴウの花

ハマゴウ
シソ科。

かつてはクマツヅラ科に分類されていた。
海浜植物のひとつ。海辺の砂地に横たわり枝を伸ばして生育する。冬は落葉し、春先から葉をつけ、7月ごろ、その先に円錐状に5cm位の紫色の花をつける。西宮市の香櫨園浜では大きく地面を這い、花が咲くと見事である。(大谷洋子)

2014年4月1日:スモモのス

スモモの林
スモモの林

 

 スモモ、漢字で書くと李は古く中国より渡来し、和名のスモモはスイモモ、スモンモ、スウメなどとも呼ばれ、「酸い桃」とする考えがある。だが、これはスモモを知らない人の考えである。

 

 少し広く考えよう。アンズは、モモと花が大変よく似ている。しかも実は酸っぱい。だからアンズがスイモモなら分かる。酸っぱくもない李(すもも)が酸い桃である訳がない。今のように品種改良が進んでいなかった昔々のスモモは酸っぱかったと想像たくましくする人がいるかもしれない。昔のスモモも熟すと甘くなるDNAを持ち合わせていたはずだから、今のアンズのように酸っぱかったとは考えられない。

 

 それでは、スモモの「ス」を考えたい。手がかりは「桃李」の成句にある。「桃李ものいわざれど、桃李の粧、桃李門に満つ」「桃李は一旦の栄花」云々などがある。桃と李がセットで取り上げられるが、桃と梅や、李と杏といった組み合わせはない。

 

 なぜなら花の咲く時期が異なるからだ。ウメは品種により異なるが1~3月、アンズは3月上、中旬で、モモとスモモは4月上旬に咲く。モモとスモモは同時に花が咲くから「桃李」となる。しかもモモの花は紅色で、スモモの花は真っ白である。紅と白のコントラストが美しく昔の人は桃と李をセットでとりあつかっている。たとえば万葉集に大伴家持の歌がある。

 


 天平勝宝二年の三月一日の暮に、春苑の桃李の花を眺矚(ながめ)て作る歌二首

 

 春の園紅(くれない)にほふ桃の花 下照る道に出て立つ娘子(をとめ)

 

 我が園の李の花か庭に散る はだれのいまだ残りてあるかも

 

  旧暦3月1日は、新暦の4月中旬である。詠まれた場所は越中高岡市伏木。「桃と李の花を眺矚めて作る歌」とあるようにモモとスモモの花が同時に咲いている。紅花と白花を強調して勝手に解釈すると、前の歌は「春の園、紅におう桃の花、夕暮れの道に出て立つ娘を紅の桃の花が明るく照らすことよ」。後の歌は「我が園の李の白い花びらが庭にはらはらと散っているのか、それともはらはらと降る残り雪(はだれ)なのか」

 

モモの林
モモの林

 

和漢朗詠集にも桃李を読み込んだ歌がある。

 

菅原道真 春の暮月(ぼぐゑつ)、月の三朝(さんてう)、天花(てんはな)に酔(よ)へり、桃李(とうり)の盛(さか)んなるなり(以下略) 「暮れゆく春の三月三日、天は花の色に映えて酔ったようにかすみ、桃と李の紅白の花が今を盛りと花ひらいている」。

 

 煙霞(えんか)の遠近(えんきん)同戸(どうこ)なるべし 桃李の浅深(せんじむ)勧盃(けんぱい)に似(に)たり「煙のように立ち込めた霞の中遠近を問わず集まったは酒飲みたちに違いない、桃の紅色と李の白い花びらが散るさまは杯をさしつさされつ酒を酌み交わしているようだ」。

 

菅原文時 桃李言(ものい)はず春幾(はるいく)ばくか暮れぬる 煙霞(えんか)跡無(あとな)し昔誰(むかしたれ)か栖(す)んじ 「桃と李は何も言わないが春には紅と白の花を幾度咲かせたのか。この跡には昔誰が住んでいたのか煙霞のようにぼんやりかすんでわからない」。

 

あの白い木は何ですかと問われるほどスモモの木はたくさんの花で覆われる。そんなスモモの花盛りを知らないとこれらの歌はわからない。

 

 酸っぱくもない李が酸い桃である訳がないと書いた。す(素)は白いを意味しス・モモは花が白いモモである。素は漢和辞典では「そ」と読むことが多いが、国語辞典では素性、素肌、素顔、素うどんなどと「す」と読むことが多い。

 

参考文献:川口久雄 (2009)「和漢朗詠集」42刷 講談社 

     犬養孝 (2009) 万葉のたび 下 改定新版2刷 平凡社 

(写真・文:福岡誠行)

 

 

 

 

 

2014年3月21日:「タラとウド」

タラノキの花序
タラノキの花序

タラとウド 
 タラノキを略してタラである。毛むくじゃらなタラの芽はてんぷらが好まれる。

 香りがよく、表面を覆う毛と衣の相性が良いのかもしれない。ツクシやヨモギやワラビもよいが、タラの芽の愛好者も多い。

 タラの芽は山に分け入って採るもので、手が届くところはすでに人に摘まれた後でがっかりすることもある。タラの芽採りは普段から山歩きをしてタラノキが生えているところを知っていないとうまくいかない。誰もが手に入れられるとは限らない。こんなこともタラの芽が喜ばれる一因であろうか。
 タラ芽の人気がでると、タラの芽を栽培する努力がなされる。タラノキを上手に剪定し、枝を育てると1年で伸びた枝に20枚もの葉がつく。各葉の上の位置に芽ができるので1本の枝で20もの芽ができる。これらの芽を一つずつ短い枝に切り分け、束ねておがくずに挿し木する。このような工夫がされ、大量にタラの芽がつくられるようになった。タラの芽が山菜ではなく野菜になってしまった。誰もがタラの芽の天ぷらを賞味できるようになったから喜ばしいことではある。タラの栽培方法は1970年代に確立されたらしい。

 タラとウドは見かけが異なるが、互いに近しい親戚だというと首をかしげる人がいるかもしれない。見かけの違いはタラが木本で、ウドが草本であることによる。タラの芽は吹きでた若い葉を食用とし、硬い茎は食べない。草本のウドは主に茎が食べられる。葉と茎だから見かけが異なる。
 ウドもタラノキも日本の自生種である。1株のウドを植えておくと春に太い茎が伸び葉もつく。茎も葉も手で触って軟らかいところは食べられる。葉は天ぷらによく、個人的にはタラの芽より好きだ。

 9月に大きな花房をつけるが、その先端に小さい花が球のように集まる。この球状の花房を天ぷらにすると形が面白くまた美味しい。ただ蕾のときでないと実になる部分が硬くなり食べにくい。ウドは夏の乾燥に気をつければよく育ち、種子が飛んで思わぬところに新たにウドが生えてくる。
 野菜のウドは光をさえぎり軟化栽培する。素朴な方法はウドの株に土寄せを繰り返し土の中を茎が伸び出てくるようにする。土中の茎は白くて長く伸び、葉は退化し膜状で葉柄は発達しない。土から出た茎の先に数枚の葉がつき、光が当たり緑色になる。これは山ウドとして売られることもある。盛り土による軟化栽培は元禄時代にすでにおこなわれていた。
 他の方法では土に穴を掘り、上にわら屋根を葺き光を遮断し穴の中で育てる。近年はパイプハウスの中で光をさえぎり暖房して促成軟化栽培される。白っぽく太い茎があり、所々に棒のように伸びた葉柄とその先に縮こまった葉、正しくは小葉がつく。茎の先にはやや長い葉柄と縮こまった葉が数個群がる。早春によく目にするウドである。

(写真・文:福岡誠行)