2015年11月24日(火):第7回Nature Salon                                    「電力屋が見た自然保護」

講師/田和聡氏(明石海峡支部)


経歴/平成25年兵庫県自然保護協会入会、日本自然保護協会自然観察指導員、暮らしのなかの地学同窓会会員他。昭和47年電源開発㈱(Jパワー)入社、火力発電所の運転、保守、建設及び環境アセスメント業務に従事。平成25年退社。


長年、電力会社に籍を置き、火力発電所の運転、保守、建設及び環境アセスメント業務に携わってきた田和聡氏が、電力を取り巻く現状と問題点、環境行政などについて話す。


日時/1124日(火)1415

場所/兵庫県自然保護協会事務所

2014年5月24日:「第一回東日本大震災と阪神大震災に学び、 南海トラフ巨大地震に備える」 理事 觜本 格

世界の地震分布図
世界の地震分布図

1.必ず発生する南海トラフ大地震

21世紀の半ばまでに必ず発生する南海トラフを震源とする大地震で最悪32万人の犠牲者が出るという想定が発表されたのは、20138月だった。この想定を私たちは具体的なイメージとして浮かび上がらせなければならない。世界には地震が起こる国と地震が起こらない国があり、全世界の地震エネルギーの10%を放出する地震列島が日本である。地震を止めることはできない。津波を止めることもできない。せめて人の命を守るためにできることは何かという模索を始めなければならない。そのために阪神大震災と東日本大震災の経験から何を教訓として導き出し、何をどう備えればいいのだろうか。

 

 

1995年 兵庫県南部地震は、「近畿地方では大地震は起こらない」と思い込んでいた市民にとって「寝耳に水」の事件だった。「活断層の数多くある神戸市周辺におい て、今後大地震が発生する可能性は十分ある」「断層付近で亀裂・変位がおこり、壊滅的な被害をうけることは間違いない」(1974年「神戸と地震」)と断じた警告が受け止められなかった。ありふれた規模の地震が、阪神・淡路大震災と呼ばれる戦後最大の自然災害に結びついてしまった。

こ の地震によって六甲山地は数㎝高くなった。このような地震を幾度となく繰り返し、六甲山地は隆起し、大阪湾は沈降してきた。一瞬の地震は長期間にわたる大 地の変動のひとこまにすぎないこと、「人間の時間」と「大地の時間」のスケールの違いを思い知らされる出来事であった。

ビルの倒壊
ビルの倒壊
明石市、新幹線の高架
明石市、新幹線の高架
近畿トライアングル
近畿トライアングル

 16年後の2011311日に発生した東北地方太平洋沖地震は、20世紀に入ってから世界で6例目の巨大地震だった。この地域で、この規模の地震が発生するとは、多くの専門家は予測・想定していなかった。巨大地震が引き起こした大津波の様相は、多くの人々の常識を超えたものだった。壁のように立ち上がった水流が、次々に押し寄せて、防波堤を乗り越え、破壊し、船舶を陸へと運び、町々を呑み込んでいくさまは、私たちの想像力を超えたものであった。自然の営みの圧倒的な破壊力と人間の科学と技術の未熟さを見せつけた。

3、自然は証拠を記録していた

東北地方太平洋沖地震(M9.0)では、兵庫県南部地震(M.7.3) の1000倍のエネルギーが放出された。海溝型地震では、プレート境界にひずみの溜まりやすい場所(asperity・アスペリティ)が点在し、それぞれのアスペリティでひずみが限界に達すると、ずれが生じて地震が起こると考えられていた。日本海溝沿いでは、実際に過去の記録では連動してアスペリティがずれた記録はなかった。今回の巨大地震では想定したすべてのアスペリティが同時に動き、数百年分のエネルギーが放出された。

一方で、地質学的な調査からは、想定外ではなかった。北海道から東北地方の海岸線に沿って、500年~1000年間隔で巨大津波に襲われた証拠となる津波堆積物が見つかっていた(2012.平川一臣)。私は昨年、平川氏の案内で岩手県宮古市の津波堆積物を観察する機会を得た。海岸沿いの斜面に張り付くように堆積している地層には、過去数千年間に幾度も押し寄せた巨大津波の履歴を明確に記録していた。869年の貞観地震による津波も2500年前、3500年前の津波も。2011年の津波も記録されていた。自然は、実に克明にそのできごとを記録していた。私たちは、その記録をきちんと読み解く努力を謙虚に続けなければならないと痛感した。

宮古での津波堆積物の調査
宮古での津波堆積物の調査
津波堆積物の層が明確に分かった
津波堆積物の層が明確に分かった

4、「大川小学校の悲劇」と「釜石の奇跡」から学ぶ

石巻市大川小学校は、児童108人中74人、教職員11人中10人が津波にのみこまれて犠牲になった。学校管理下にあった子どもの多くが自然災害で命を落とした世界でも初めての事件ともいえる。

学校は海岸から北上川沿いに4kmの標高は1.5mの場所にある。津波による浸水想定区域にはなっていなかった。地震による揺れがおさまって子どもと教師たちは校庭に集合。学校から百数十m離れた空き地を目指して移動を始め、地震発生から約50分後に2方向からやってきた津波に全員が呑み込まれた。

学校の裏にある慣れ親しんだ山に1分もあれば登れるにもかかわらず、なぜ山に逃げなかったのか。適切な避難のための判断ができなかったのはなぜか。いろいろな謎があり、この事件の真相はまだ明らかにされていない。

一方で、対照的なのは「釜石の奇跡」である。10mの津波に襲われた岩手県釜石市では、ギネスブックに載る湾口防波堤があったが、1000人を超える犠牲者が出た。しかし、学校管理下にあった小学生1927人、中学生999人の全員が無事であった。

昨年8月に私は、小中学生は全員が逃げ切ったという経路を、釜石東中学校の教員の案内で歩いてみた。自分の命を守るために必死で逃げた小中学生の「行動」と「思い」を追体験することができた。⑧⑨

そこには群馬大学の片田敏孝教授のアドバイスをうけた徹底した津波防災教育があった。市民に広がっている油断に危機感をもった片田教授は、2004年から津波から命を守る防災教育を小中学校の教職員とともに積み上げてきた。そこで行われた教育では、「自分の命は自分で守る」という主体性を育てることを基本とし、①想定にとらわれない②いかなる状況下でも最善を尽くせ③率先避難者たれ、という原則を徹底した。「脅しの防災教育」「知識の防災教育」ではない、主体的な行動に結びつく「姿勢の防災教育」だった。

釜石の避難経路の追体験
釜石の避難経路の追体験
避難した子どもたちの思いが胸に迫る
避難した子どもたちの思いが胸に迫る

5、南海トラフの巨大地震を想像する

南海トラフでの海溝型の大地震が今世紀前半に必ず起こる。東海・東南海・南海地震の3連動の可能性がある。南西諸島、沖縄まで含めたM9級の巨大地震になる可能性もあると指摘されている。起こりうる可能性があることは、いつかきっと起ると考えるべきであり、過去に例がないことが安心・安全を保障するものではないことを私たちは学んだ。

南海トラフでの大地震の周期は90年~150年で、安政東海地震から160年、昭和南海地震から68年がたっている。この地震には必ず津波が伴う。地震発生から津波襲来までの時間は東日本より短い。大阪湾で最大5mとされる津波の高さ想定も、これに収まるとはだれも保証できない。

大阪を、5mを超す津波が襲ったことを考えてみよう。今より3mほど海水面が高かった縄文海進時に、広く内湾が入り込んでいた大阪平野の広い場所が浸水域になる。そこには多数の人々が行きかう地下街が発達していて、海水が浸入することになる。長期にわたるインフラの途絶もある。大阪湾沿岸の大規模コンビナートで石油タンクの炎上、火災旋風が起こることも考えられる。

南海トラフの巨大地震の震源域の直上には、大阪や名古屋、神戸などの大都会があり、重大な問題は伊方原発や川内原発が震源域にあるということも忘れてはならない。

6、命を守る防災対策

災害の犠牲は、予期せぬ異常や危険を、正常と判断してしまう「正常性バイアス」の働きで避難するタイミングを失うことで発生する。人間は、自然の力の前に非力であることを知ったうえで、最善の対策をたてるべきだ。

私たちの生きる日本列島は「地震」「洪水」「火山」でできた列島である。その自然の営みのおかげで、こんなに美しくすてきな国土ができた。自然を知り、自然に逆らわず、自然とともに生きる知恵を出し合っていきたいものである。

「防災グッズ」の用意や「防災マニュアル」の検討、津波に備えた避難訓練の徹底(従来の規律・統制に重点を置く集団行動型訓練の見直し)、誰もがどこにいても津浪来襲の可能性が判断できる対策・教育などは、それぞれ重要な課題である。

最大の防災対策は地域社会、学校や組織での豊かな人間関係の構築にあることを忘れないようにしたい。災害時の特別の対策より、平時において、弱者が大切にされるような「豊かさ」を持った社会を創っていくことに力を注ぎたい。